釣り場考 2話

こんにちは

2018.05.24(木)

久々に、フライフィッシングでブラックバス。

フライで狙うとブルーギルが先に釣れてしまうので、大きなフライを付けてやりました。

それでも、ギルの猛攻の合間にやっと釣れた一匹のコバスでした。

釣り場考 ②

さて、釣り場考 ②です。

前回①では、レジャーを行うための大事なモノの最優先順位は「フィールド」だと書きました。

フィールドが無くなるとは

「フィールドが無くなればそのレジャーを行うことが完全に不可能になる」

この単純かつ深刻な文章が意味することを、”実感”として体験している釣り人はかなり多いと思います。

この文章の中の”無くなる”という言葉が示しているのは、”池が埋め立てられて更地になる”といった物理的なことだけではなく、”釣り場はあるのに釣りができない” といった意味の方が強いです。

いわゆる、今まで釣りができたフィールドが、何らかの理由で”釣り禁止”になってしまったという意味での”無くなる”ですね。

釣りに限りませんが、フィールドを必要とするどんなレジャーも、そのフィールドの管理者が禁止すれば、もうそのレジャーを行うことはできません。

釣りが禁止される理由のほとんどは、”それを行う人達のマナー”と、そこで起こる”事件・事故”だと思われます。

アウトドアレジャーのマナー問題

アウトドアをフィールドとしてレジャーを行なっている人達のマナーが、イメージとは違いスゴく悪いことはよく知られています。

どこのフィールドもゴミの不法投棄が多いし、車の駐車違反で近隣の方が迷惑しています。

どうして、そのようなことになってしまうのか?

いろいろな理由があるのでしょうが、私が普段思っているのは、”レジャーが日常とは懸け離れ過ぎた存在”となってしまっているからではないでしょうか?

”旅の恥はかき捨て”という言葉があります。

この言葉の意味はここで説明するまでもなく、誰でもよく知っていると思います。

この”旅”の部分を”レジャー”に置き換えた状態が、マナー問題の根幹ではないかと、私は思えて仕方ありません。

たしかに、旅とレジャーはどちらも日常から離れた行為ですし、離れるために行うので意味があるとも言えます。

ちなみに、このブログのメインタイトルは「釣りもある暮らし」です。

このタイトルが意味することは以前、”ブログタイトル考”で書きましたが、かいつまんで言えば、”釣りが日常の中にあっても良い”という意味なのです。

言いかえれば、”釣りは無くても困らないけど、無いよりあったほうが良い”です。

釣りが生活の中の何よりも優先するような”ガチ”なアングラーの方で、このブログを読んでいる方はいないと思いますし、そのような方に向けて書いてもいないです。

ですから、このブログを読んでいる方は、”レジャー=旅”的な解釈で恥のかき捨てをするくらいなら、レジャー自体を諦めて欲しいですね。

フィールドでの事件・事故

続いてフィールドでの事件・事故についてです。

今はどうなのか分かりませんが、今から30年以上前 私が中学生の時には、釣り場でのルアータックルの盗難が多く発生していました。

私も一度、一緒に釣りに行った仲間の一人がルアーの盗難にあいました。持っていったタックルBOXから目を話したスキに、中のルアーを根こそぎ盗られていました。

小学生が中学生から、中学生が高校生から、高校生が大人からルアータックルを恐喝されたという話もよく聞きました。

また、池や川で子供が溺れるといった話は今も多いです。

このような事があると、地域としてはPTAからの依頼もあり、”釣り禁止”にせざるを得ないとは思います。

ですが、このような問題は、”釣り自体が悪い”のでしょうか?

たしかにフィールドを”釣り禁止”にしてしまえば、その目的での事件・事故は無くなるでしょうが、例えば違う目的でフィールドに訪れた子供たちが同じような事件・事故にあったとしたらどうでしょうか?

例えば、あまり現実的ではないでしょが、”バードウォッチング”が大ブームになって、池や川などの水辺に子供たちが多く訪れて、高価な双眼鏡やカメラを恐喝されたり、水に近づきすぎて溺れたりしたらどうでしょか?

「この池(川)ではバードウォッチング禁止」

となるのでしょうか?(たぶん)こんな変なことにはならないでしょう。

なぜ、魚釣りは禁止になりやすく、バードウォッチングは大丈夫なのでしょうか?

そこには、世間一般の魚釣りに関する偏見があるからだと私は思います。

可愛くて美しい鳥達を眺めるのは良い行為だが、魚を捕るのは良くない行為だという気持ちが、簡単にフィールドを”釣り禁止”にしてしまうのではないでしょうか。

釣り場考 ③へ続きます。

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