フライフィッシングで海! 21話 極小フライでアジ

こんにちは。

2022年10月24日(月)

久しぶりに「フライフィッシングで海」の更新になります。

自宅から一番近い釣り場が「名古屋港」という環境ですが、逆に近いと「別に…いつでも行けるし…」という意識が働いて、なかなか竿を出さないものです(汗)

最近は「フライフィッシングでバス釣り」が調子良いです。

下のバスは昨日釣ったものです。

「フライフィッシングでオイカワ釣り」もよく釣れております。ドライフライで狙う事も多くなりました。

夜になれば、これらの釣りに使うフライを補充する為に「フライタイイング」しているので、しばらく海には行っていませんでしたね。

ですが、先日夜に予定していた用事が無くなってしまい、持て余した時間を潰すため、自宅に帰る途中に海へ釣りに寄りました。

上の写真はその時に釣ったチビセイゴです。こんな小さなセイゴでも、水面直下に泳がせたフライに果敢にライズして来ます。

「釣り人なら、やってて楽しく無いなずないっ!」

というワケで、また夜の海に通い出しました(←タイイングはどうするんだ?)。

セイゴを釣った次の日の夜に海に行ってみると、前日とは明らかに違う感じライズが、水面一体に広がっております。

まるで雨の降り始めがいつまでも続いているような「ピシャピシャピシャ」と、連続的な小さなライズです。

「これは…メバルが浮いて来てるな…」

メバルは暗くなると海底から浮いて来て、水面付近の「アミ」と呼ばれる極小なエビなどを捕食します。

前日セイゴ釣りに使っていた#10番フライを、上の写真の#18番フックに巻いた小さなものに交換します。海ではミッジサイズですね。

ですが…フライ交換後もまるで反応無し…。

「メバルは目が良い」とはよく言われています。ハリスはそのままフロロ1号でしたので、2段階サイズダウンして0.6号を1号の先に継ぎ足してみました。

細いハリスを継ぎ足した後の1投げ目。まるで作り話のようですが、早速ロッドを持つ手に魚のバイトを感じ、向こうアワセで魚が掛かりました。

釣り上がった魚は「アジ」でした。アジは久しぶりですね。

(そのまま触ってしまったので、鱗がたくさん剥がれてしまいました。アジさんゴメン。アジを狙うな専用のフィッシュグリップを容易しましょう。)

この後も数匹追加で釣り上げましたが、ライズは長くは続かずその後は反応はありませんでした。本当に短い時合です。

この釣果を我が釣りの師匠F氏にメールで報告すると、彼は早速この場所へ翌日の夜にルアーフィッシングで「アジング」に出掛けました。

「ライトソルト」に分類される、「アジ・メバル」用の小さなワームを、1g以下の軽い「ジグヘッド」に装着して釣ったそうです。

「さすが我が師匠っ!」同じ釣り人としてこの迅速な行動力は、本当に見習いたいものです。

現代は情報の収集自体は容易になりましたが、集めた情報自体を「自分の体で検証する」という行為自体はドンドンと疎遠になっている気がします。

「知っている」「分かっている」とは意味が違いますし、「分かっている」「できる」も意味も価値も違います。

釣りに限らず、実生活全般において一番価値が高い状態は、もちろん「できる」です。

「知っている=理解していない」<「分かっている=理解はしていても自ら体現できない」<「できる=自ら体現可能で他人にも指導可能」

現代は「知っているだけの人」ならほとんど価値が無い時代な気がします。必要な情報などスマホで誰でもその場で検索できますからね。

そして「できる」を体現可能とする為には、前提として「努力と覚悟」が必要なのは言うまでもありません。

釣りには直接関係無い動画ですが、上は以前目にしたネット動画です。

「知っている」だけでも「分かっている」だけでもダメなのです。

どんな事でも「行動」してちゃんと結果を出せないのなら、それはただの「頭でっかちの屁理屈コキ」として周囲の人々から嫌われ、しだいに孤立していくだけなのです。いわゆる「口先だけの人」の事ですね。

「分かっているなら やりなさい」

単純ですが、特に現代人には深い言葉だと思います。

フライフィッシングで海! 初話へ戻ります。

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フライフィッシングで海! 22話へ続きます。

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