こんにちは
今回をもって、「ブログタイトル考」と題して書き続けてきた記事の最終話としたいと思います。
よくもまぁ、ブログのタイトル説明だけで、「こんなに長々と記事を書き続けたものだ」と自分自身に呆れている安藤商会です。
前回⑧では、とうとうこのブログのメインタイルが、”釣り「も」ある暮らし”に決まった理由を書けました。
「も」には、嫌いではないという意味が…
「好き」と「嫌いではない」では、文法上は同じ意味なのでしょが、心情的にはハッキリとしたちがいがあると感じます。
自分は当然というか魚釣りが「好き」な人間です。ですが、同じくらい「嫌い」でもあります。
「…?」と思われるかもしれませんが、趣味として魚釣りをしている人達は「なんとなく分かる…」かもしれません。
好きと嫌いを行ったり来たりしているのが、「釣り人」という人達ではないでしょうか?
釣りに行っても自分の思うような結果が出ないまま一日過ごしたり、衝動的に自分には不相応な高価なタックル(釣具)を購入してしまったり、マナーの悪い釣り人に遭遇したり…等。
そんなときは、すごく「嫌いモード」になります。
以前お話をうかがったルアーショップのご主人が、「釣りを文化だと持ち上げる傾向があるが、非効率に魚獲ってるだけだよ」と笑っていたのが忘れられません。
ある純文学作家が、「ルアー・フライ釣りは最低。人間が下等生物の魚をだまして釣って楽しむなんて狡猾だ」と書かれたエッセイをはじめて読んだときも、なんだか自分を恥ずかしく思いました。
「好き」と「嫌い」は表裏一体ですね。どちらかだけでその感情は存在しません。「熱狂的な釣り好き」の人が、「まったく釣りをしない人」になることも珍しくないですから。
釣りが「好き」でなくても「嫌い」でなければ読んで欲しい…
好きな事は、あるキッカケで嫌いな事に変わります。その逆もそうです。
好きと嫌いのあいだ、魚釣りも「嫌いではない」という立ち位置の人達に読んで欲しいとの思いを込め、このブログのメインタイトルは、
”釣り「も」ある暮らし”
としました。
やっと、やっと結論にたどり着く事ができました。
ブログタイトル考①から今回の最終話まで、我慢強く読んで下さった方々、どうもありがとうございました。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。